2025年02月02日
ガラテヤ人への手紙3章
19 では、律法とは何でしょうか。それは約束をお受けになった、この子孫が来られるときまで、違反を示すためにつけ加えられたもので、御使いたちを通して仲介者の手で定められたのです。
20 仲介者は一方だけに属するものではありません。しかし約束を賜る神は唯一者です。
21 とすると、律法は神の約束に反するのでしょうか。絶対にそんなことはありません。もしも、与えられた律法がいのちを与えることのできるものであったなら、義は確かに律法によるものだったでしょう。
22 しかし聖書は、逆に、すべての人の罪の下に閉じ込めました。それは約束が、イエス・キリストに対する信仰によって、信じる人々に与えられるためです。
23 信仰が現れる以前には、私たちは律法の監督の下に置かれ、閉じ込められていましたが、それは、やがて示される信仰が得られるためでした。
24 こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。
25 しかし、信仰が現れた以上、私たちはもはや養育係の下にはいません。
26 あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。
27 バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。
28 ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。
29 もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。